『見知らぬわが町 1995真夏の廃坑』中川雅子(葦書房)1996年
2008.09.13 [ Edit ]
「鮮烈なる再発見」
この文章を書くためにひさしぶりに本書を開き、写真の中の著者が意外に幼かったことに驚いた。月並みな言い方になるが、この歳でよくこれだけ調べたと改めて感心してしまう。『見知らぬわが町』は、著者が高校2年生の夏休みに自分の生まれ育った大牟田の町を巡り、炭鉱の歴史を自分の目と足で確かめた記録である。
この文章を書くためにひさしぶりに本書を開き、写真の中の著者が意外に幼かったことに驚いた。月並みな言い方になるが、この歳でよくこれだけ調べたと改めて感心してしまう。『見知らぬわが町』は、著者が高校2年生の夏休みに自分の生まれ育った大牟田の町を巡り、炭鉱の歴史を自分の目と足で確かめた記録である。
個人的なことを言えば、本書は私にとっては初めて読んだ炭鉱の本である。囚人労働の話は、それまで何も知らなかっただけに衝撃的だった。しかし、本書は高校生が何か新事実を発見する話ではない。囚人墓地に立てられた看板の写真や巻末の参考文献からもわかるように、囚人労働や囚人墓地に関する調査は本書以前にも行われていたようである。著者が知らなかっただけだ、ということもできるのだ。では、本書の新しさはいったいどこにあるのだろう。
それは、著者が偶然炭鉱施設を目にしたことから始まっている点にある、と私は思う。誰かに課題を与えられたわけでも、本で知ったわけでもない。自分が受けた印象を大切にしつつひたむきに事実を追究していく著者の姿勢が非常に新鮮で、取り上げているテーマにもかかわらず、本書をどこかさわやかなものにしているのである。
南新開竪坑跡を初めてじっくり眺めたときの印象を、著者はこう述べている。
1995年の時点において、炭鉱施設の印象をこのように述べていることに、私は軽い驚きを感じる。『福岡県の近代化遺産:日本近代化遺産総合調査報告』が福岡県教育委員会によって刊行されたのは1993年のことで、その中に万田坑や四山坑(本書の表紙に使われている)を始めとして、三井三池炭鉱の施設がいくつも紹介されている。つまり著者が廃坑や墓地、慰霊碑を訪ねてまわった1995年には、すでに炭鉱施設を日本の近代化に貢献した建造物、近代化遺産と捉える見方が用意されていたのである。しかし、著者が近代化遺産としての見方をとらず、「暗い哀しい」印象をきっかけとして囚人労働の痕跡を追究している。
では、炭鉱施設を近代化遺産としてみると、その印象はどのように語られるのだろうか。一例として、少し時期が後になるが『近代化遺産ろまん紀行 西日本編』(読売新聞文化部、2003年、中央公論社)から三井三池炭鉱宮原坑の印象を述べた文章を引用してみよう。
と締めくくっている。本文、図版で合計4ページという短さなのでやむを得ないのかもしれないが、宮原坑がシラコ(「修羅坑」が由来とされる)と呼ばれる囚人労働の場であったことには触れていない。この文章は宮原坑について述べているのに対し中川の文章は南新開竪坑の印象を述べているため、単純に比較するのは乱暴なのだが、両者は大きく異なっている。そして、この多様性を可能にしているのは、実際に見ることのできる炭鉱施設の存在ではないだろうか。
「近代化遺産」という言葉によって、炭鉱施設の見方が1つの方向に誘導されかねないことを私は危惧する。しかし、近代化遺産という名のもとで炭鉱施設を保存し公開することには大賛成である。8月30日の記事に書いたことと重なるが、その施設が保存され人目にふれ続ける限り、それを目にする人間が自分なりの見方をすることが可能だからだ。たとえば本書の著者のように。
それは、著者が偶然炭鉱施設を目にしたことから始まっている点にある、と私は思う。誰かに課題を与えられたわけでも、本で知ったわけでもない。自分が受けた印象を大切にしつつひたむきに事実を追究していく著者の姿勢が非常に新鮮で、取り上げているテーマにもかかわらず、本書をどこかさわやかなものにしているのである。
南新開竪坑跡を初めてじっくり眺めたときの印象を、著者はこう述べている。
あれは何だろう。何かの廃墟だろうが、いったい何の廃墟だろう。私は永い間それを見ていた。夕暮れの灰色の空を背景にして立っているその奇妙な建物の姿が、私には暗い哀しい風景に見えた。唐突に、まるで誰かがテレパシーを送って来たかのように、私の脳裏をある思いがよぎった。
「あそこで、きっと遠い昔に、何か哀しい出来事があったに違いない」
1995年の時点において、炭鉱施設の印象をこのように述べていることに、私は軽い驚きを感じる。『福岡県の近代化遺産:日本近代化遺産総合調査報告』が福岡県教育委員会によって刊行されたのは1993年のことで、その中に万田坑や四山坑(本書の表紙に使われている)を始めとして、三井三池炭鉱の施設がいくつも紹介されている。つまり著者が廃坑や墓地、慰霊碑を訪ねてまわった1995年には、すでに炭鉱施設を日本の近代化に貢献した建造物、近代化遺産と捉える見方が用意されていたのである。しかし、著者が近代化遺産としての見方をとらず、「暗い哀しい」印象をきっかけとして囚人労働の痕跡を追究している。
では、炭鉱施設を近代化遺産としてみると、その印象はどのように語られるのだろうか。一例として、少し時期が後になるが『近代化遺産ろまん紀行 西日本編』(読売新聞文化部、2003年、中央公論社)から三井三池炭鉱宮原坑の印象を述べた文章を引用してみよう。
から始まり、団琢磨と採炭夫の写真からは気概が感じられる、と述べた上でひとつの時代を築き、その使命を終えた後もなお豪然たる姿でそびえ立つ構造物の美しさを、何と表現すればいいのだろう。福岡県大牟田市の三井三池炭鉱・宮原坑施設の第二竪坑の、満身創痍の廃墟は、今も雄叫びをあげる立ち往生の巨人のように見えた。
現代日本の基礎を築き上げた先人たちの知恵と技術に加え、その気魂を学ぶところにこそ、新時代の扉を開く鍵が潜んでいる。宮原坑周辺のうら寂しい風景の中を流れる春風の中に、そんな声が確かに聞こえた。
と締めくくっている。本文、図版で合計4ページという短さなのでやむを得ないのかもしれないが、宮原坑がシラコ(「修羅坑」が由来とされる)と呼ばれる囚人労働の場であったことには触れていない。この文章は宮原坑について述べているのに対し中川の文章は南新開竪坑の印象を述べているため、単純に比較するのは乱暴なのだが、両者は大きく異なっている。そして、この多様性を可能にしているのは、実際に見ることのできる炭鉱施設の存在ではないだろうか。
「近代化遺産」という言葉によって、炭鉱施設の見方が1つの方向に誘導されかねないことを私は危惧する。しかし、近代化遺産という名のもとで炭鉱施設を保存し公開することには大賛成である。8月30日の記事に書いたことと重なるが、その施設が保存され人目にふれ続ける限り、それを目にする人間が自分なりの見方をすることが可能だからだ。たとえば本書の著者のように。
Comment
コメントの投稿
Track Back

