『黒い土の少女』(チョン・スイル監督 2007年)(2008年10月19日 於川崎市アートセンターアルテリオ映像館)
2009.01.07 [ Edit ]
「必然性なき悲劇」※ネタバレあり!
私が『黒い土の少女』という映画を知ったのは、「炭鉱を描いた映画と社会」(上野清士、『まなぶ』No.606、2008年)という文章を読んだときのことだったと思う。2007年制作、2008年日本公開の新しい作品なので、どこかの映画館で上映していないかとずいぶん調べたが、その時点では上映館はなく歯がゆい思いをしたものである。それがKAWASAKIしんゆり映画祭2008の上映作品の1つとして、思いがけず見る機会を得ることができた。私にとっては初めての韓国映画であった。
私が『黒い土の少女』という映画を知ったのは、「炭鉱を描いた映画と社会」(上野清士、『まなぶ』No.606、2008年)という文章を読んだときのことだったと思う。2007年制作、2008年日本公開の新しい作品なので、どこかの映画館で上映していないかとずいぶん調べたが、その時点では上映館はなく歯がゆい思いをしたものである。それがKAWASAKIしんゆり映画祭2008の上映作品の1つとして、思いがけず見る機会を得ることができた。私にとっては初めての韓国映画であった。
あらすじは次の通りである。主人公の少女ヨンリムは炭鉱で働く父、知的障害を持つ兄トングとの3人暮らしである。ある日父はじん肺症と診断され、炭鉱からの退職を余儀なくされる。再就職先探しは難航し、誘われるままにトラックで鮮魚を行商する仕事を始める。事態は好転するかに思えたが、ある日父がトラックを離れた隙に、助手席に同乗していたトングが車を動かして前方に停まっていた車に追突してしまう。事故処理の中で、持ち主である運送会社がトラックに保険をかけていなかったことがわかり、責任を負わされた父は運送会社の社員とけんかになって行商の仕事もやめてしまう。「俺には炭坑しかない」と選炭の仕事を求めてかつての勤務先を訪ねるが、選炭の仕事には女しかいないし空きもないと断られ、父は酒に溺れてゆく。金もないのにつけで酒を買ってくるようヨンリムに命じ、ヨンリムは商店から酒とつまみを盗んでしまう。一家の暮らす炭鉱住宅には再開発のための退去命令が出ており、暮らしが追い詰められていく中でヨンリムは思い悩む。そしてある日、トングを連れてバスに乗り彼を養護学校に連れていくとそのまま置き去りにするのである。帰宅すると、父はすでに酔っ払っている。ヨンリムは台所に立つと、以前もらった猫イラズを料理に入れる。それを食べて苦しむ父を見て、いたたまれずヨンリムは雪景色の中を1人歩いて行く。バス停留所まで来たヨンリムが放心したような表情でたたずんでいるところで終わりとなる。
何とも陰鬱で救いのない物語である。飲み屋で労働者達が炭鉱への恨みと嘆きを語る場面もあるのに、労働者一家を追い込んでいく社会の矛盾を描く作品にはなっていないし、父と兄に献身的に尽くすヨンリムが主人公なのに、逆境の中でけなげに生きる少女を描く作品にもなりきれていない、というどっちつかずの感がある。社会派の作品になりきれていないのは、職業病と失業という問題を父個人の過失による事故へ、そして酒浸りへと、どんどん個人の領域に追いやっているからであろう。またヨンリムのけなげさを描く作品になりきれていないのは、おそらく彼女の内面が十分描かれないまま、唐突に兄を棄て父親に毒を盛る最後の場面が来るためである。確かに一家の生活が追い詰められていく中で、ヨンリムは一人奮闘する。しかしヨンリムの苦しんだり悲しんだりといった感情がほとんど表現されない一方で、いかにも子どもらしいほのぼのとした姿は描かれるため、この子がかわいそうだ、家族を捨てたくなるのもわかる、という思いが高まっていかないのである。例えば、父のために酒とつまみを商店から盗む場面で、店員に追いかけられてピアノ教室に逃げ込んだヨンリムは、そこでなぜかそのまま眠ってしまうのである。抒情的ではあるがあまりに現実離れしており、物語の進行を混乱させているように思えた。さらに、ヨンリムとトングの母親が会話の中にも一切登場しないのは不自然であるし、何より兄を棄て父を殺してもヨンリムが一人で生きていけるはずもなく何の解決にもならないのではないか、という疑問が拭えない。なぜ、このような話にしたのであろうか。一つ考えられるのは、儒教の影響が今なお強いとされる韓国において、兄を棄て父を殺すという物語は私の考えるよりずっと衝撃的で、そのような作品をつくることに社会的意義があるのではないか、ということである。しかしそれは、この作品を見ただけではなんとも言えない。こういうところが、外国の映画や小説でもどかしいところだ。
最後に炭鉱施設について触れておくと、広大な炭鉱施設をロングショットで捉えた場面が何度かあるほか、坑内での作業や昇坑後の風呂の場面、時間的には短いが更衣室や繰り込み場での場面もあり、かなり見ごたえがある。特に入坑から採炭、坑内での休憩、昇坑までを、せりふなしの非常に暗いトーンで撮った冒頭の場面は印象的であった。それに続く風呂の場面も、日本の炭鉱風呂のような大きな浴槽は見当たらずシャワーで、日本と韓国の炭鉱設備の違いをうかがい知ることができて興味深かった。それにしても、撮影場所が稼働中なのか閉山後なのかはわからないが広大な施設をまるごと見ることができるため、日本の炭鉱映画も韓国で撮影させてもらえばよいのではないか、と余計なことまで考えてしまった。炭鉱施設以外でも雪景色が美しく、冷気が伝わってくるような画面で、その中にヨンリムが一人いる場面などは、確かに惹きつけられる。また、個人的な感想ではあるが、鮮魚商を始めたばかりの父が子どもたちを乗せてトラックを走らせる場面では、車窓からの風景が、一度だけ訪れたことのある北海道の炭鉱町赤平を思い出させた。
もしかしたらこの作品は、物語よりも映像そのものを味わうのに向いているのかも知れない。
何とも陰鬱で救いのない物語である。飲み屋で労働者達が炭鉱への恨みと嘆きを語る場面もあるのに、労働者一家を追い込んでいく社会の矛盾を描く作品にはなっていないし、父と兄に献身的に尽くすヨンリムが主人公なのに、逆境の中でけなげに生きる少女を描く作品にもなりきれていない、というどっちつかずの感がある。社会派の作品になりきれていないのは、職業病と失業という問題を父個人の過失による事故へ、そして酒浸りへと、どんどん個人の領域に追いやっているからであろう。またヨンリムのけなげさを描く作品になりきれていないのは、おそらく彼女の内面が十分描かれないまま、唐突に兄を棄て父親に毒を盛る最後の場面が来るためである。確かに一家の生活が追い詰められていく中で、ヨンリムは一人奮闘する。しかしヨンリムの苦しんだり悲しんだりといった感情がほとんど表現されない一方で、いかにも子どもらしいほのぼのとした姿は描かれるため、この子がかわいそうだ、家族を捨てたくなるのもわかる、という思いが高まっていかないのである。例えば、父のために酒とつまみを商店から盗む場面で、店員に追いかけられてピアノ教室に逃げ込んだヨンリムは、そこでなぜかそのまま眠ってしまうのである。抒情的ではあるがあまりに現実離れしており、物語の進行を混乱させているように思えた。さらに、ヨンリムとトングの母親が会話の中にも一切登場しないのは不自然であるし、何より兄を棄て父を殺してもヨンリムが一人で生きていけるはずもなく何の解決にもならないのではないか、という疑問が拭えない。なぜ、このような話にしたのであろうか。一つ考えられるのは、儒教の影響が今なお強いとされる韓国において、兄を棄て父を殺すという物語は私の考えるよりずっと衝撃的で、そのような作品をつくることに社会的意義があるのではないか、ということである。しかしそれは、この作品を見ただけではなんとも言えない。こういうところが、外国の映画や小説でもどかしいところだ。
最後に炭鉱施設について触れておくと、広大な炭鉱施設をロングショットで捉えた場面が何度かあるほか、坑内での作業や昇坑後の風呂の場面、時間的には短いが更衣室や繰り込み場での場面もあり、かなり見ごたえがある。特に入坑から採炭、坑内での休憩、昇坑までを、せりふなしの非常に暗いトーンで撮った冒頭の場面は印象的であった。それに続く風呂の場面も、日本の炭鉱風呂のような大きな浴槽は見当たらずシャワーで、日本と韓国の炭鉱設備の違いをうかがい知ることができて興味深かった。それにしても、撮影場所が稼働中なのか閉山後なのかはわからないが広大な施設をまるごと見ることができるため、日本の炭鉱映画も韓国で撮影させてもらえばよいのではないか、と余計なことまで考えてしまった。炭鉱施設以外でも雪景色が美しく、冷気が伝わってくるような画面で、その中にヨンリムが一人いる場面などは、確かに惹きつけられる。また、個人的な感想ではあるが、鮮魚商を始めたばかりの父が子どもたちを乗せてトラックを走らせる場面では、車窓からの風景が、一度だけ訪れたことのある北海道の炭鉱町赤平を思い出させた。
もしかしたらこの作品は、物語よりも映像そのものを味わうのに向いているのかも知れない。
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